花咲く水路で──潮来のあやめ祭り

fiction, Jul. 2019

川淵紀和

茨城県の水郷地帯「潮来(いたこ)」では、6月になると水路に沿って、紫と白、黄色といった色とりどりの菖蒲(あやめ)の花が咲き乱れる。初夏に見頃を迎えるこの時期には「あやめ祭り」が催され、多くの人が訪れている。

水路では昔ながらの小さなサッパ舟が行き来している。船頭が長い櫓を器用に操ってゆっくりと水を切ってゆくその様は、時の流れまでもいっそう緩やかに感じさせるのだった。

僕はそんなあやめ祭りが好きで、毎年欠かさず訪れている。

「祭りなのにお神輿とか無いんだね。お囃子の音もしないし」

初めてこの土地に訪れる千鶴は、そんなことを呟いた。かろうじて露天で売っていたりんご飴を買うことができたようで、その艶やかな表面を少しずつ齧りながら歩く姿は、幼い子どものようだった。

でも彼女にとっては、咲き乱れるアヤメを食い入るように見つめる僕の姿が子どもっぽかったようで、にやにやしながら僕の顔を覗き込んでくるのであった。

りんご飴を食べるのに忙しかった千鶴も、どうやら一輪のアヤメと目が合ったらしく、腰を下ろしてじっと見つめ始めた。同じく僕も彼女の隣にしゃがみこんだ。胸の高さまで真っすぐ伸びた菖蒲の葉や、中央から垂れる花びらは妙な色気を含んでいる。

「ねえ、花びらの中におやゆび姫がいないか探してみようか」

「どういうこと?」と僕は尋ねる。アヤメの花びらは半分は垂れていたが、もう半分はその中心でふんわりと膨らんでいた。その様子は、あたかも大切な”何か”を内に秘めているようであった。

なるほど、彼女はそんな花びらの中におやゆび姫が隠れているかもしれないと言っているのだ。

「ふうん。でもかぐや姫かもしれないよ。アヤメには着物のほうが似合いそうだから」

「着物?」

そのとき、橋の袂から舟が流れてきた。嫁入り舟だ。潮来の花嫁は昔から、水路をサッパ舟で渡ってから相手の家へと嫁いでいくようで、今も祭りの期間は白無垢に身を包んだ花嫁を見かけることができる。

花嫁はまず、花婿、両親とともに人力車に乗って水路までやってくる。その後、咲き乱れるアヤメに祝福されるかのごとく、花々に囲まれながら水路に向かってゆっくりと歩いていく。

僕たちはその様子を、多くの見物客の隙間から覗くようにして見ていた。

水路にはいくつもの橋が掛けられており、花嫁を乗せた船はひとつひとつ橋をくぐりながらゆるりと進んでいく。ときおり、沿道に並ぶ見物客から拍手や歓声、花嫁の名前を呼ぶ声が聞こえ、大音量で響くかつての流行歌、花村菊江の「潮来花嫁さん」も耳につく。

くすんだ水面を進む、落ち着いた色合いの船に乗っているからか、花嫁の染みひとつない白無垢姿がよりいっそう引き立てられていた。

「なるほど、アヤメがその花びらに隠し持っていたのは、花嫁かもしれないな」なんて思ってしまうほどだ。

「確かにアヤメには着物だ。映画のセットみたい」と、まるで僕の思考を読んだかのように、千鶴がポツリと言った。

ゆっくりと進む嫁入り舟を見つめる千鶴の横顔を、僕は盗み見る。

「千鶴だってもうじき『花嫁』じゃないか」

ふんっ、と鼻を鳴らして千鶴が笑う。

僕の地元へと結婚の挨拶に訪れる数日前、千鶴ははっきりと「結婚式はしない」と言った。多くは語らず、一言だけ「披露はできない」とぽつり、でもきっぱりと告げた。

その意志の強さを伺える語気に僕も思わず頷いてしまい、結局婚姻届だけを提出することに同意して今に至る。

本当は内心、ドレスアップした彼女の姿を見てみたいとも思っていた。けれど、りんご飴を食べ終えてもなお、割り箸を口に加えて何か言いたげに噛みしめる彼女の苦々しい表情に、それを告げることはできなかった。

「いろんな花嫁がいるんだよ」

千鶴はそう呟くと、くわえていたりんご飴の棒を取り出し、両手で思いっきりポキッと折って鞄にしまうと、私の方へと向き直り、きっと僕の目を見据えた。

「七年ぶり二度目の姉さん女房を、今後ともよろしくおねがいします」

「こちらこそ」

千鶴が改まったように頭を下げるので、僕もつられて頭を下げ、思ったより大きな声が出た。周囲にいた数人がちらっと僕らの方を見る。期せずしてちょっとした儀式のようになった。

僕が頭を少し上げると、千鶴はまだ同じ姿勢を保っていた。その姿からたくさんの、音としては発せられなかった言葉が僕の胸に直接響いてきて、僕はやっと心から「僕らはこれでいいんだ」と思えた。

そのやりとりに満足したのか、千鶴は顔を上げて凛と背筋を伸ばし、僕に腕組みをして引っ張りながら「今度はあんず飴が食べたくなった」と澄んだ青空のような笑顔を見せた。

written by

川淵紀和

ライター。1987年生まれ。茨城県出身。Webライティングのかたわら、小説を書いています。

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