月夜が見ていた

fiction, Aug. 2019

SAKI.S

「ミナちゃん、おはよう。ほら、鮭焼けたで」

「…ん、おはよ。おばあちゃん」

と答えた日はまだよくて、ときには黙ってごはんを食べ「行ってきます」とだけ言う日もあったし、「いっつも同じ朝ごはんじゃん」と言って食パンを自分で焼いて学校へ行く日もあった。

「また煮物?」と言った日は数えきれない。祖母がつくる料理はいつも同じで、ぱっとしない茶色い和食ばかりだった。毎日ごはんをつくってくれる祖母に、「ありがとう」と言った記憶がない。

両親が共働きで忙しかったので、私は半分、いや8割ほどだろうか、祖母に育てられたようなものだった。祖父を早くに亡くした祖母だが、その後も気さくに丈夫に過ごしていた。職業婦人としてずっと洋裁の内職をしており、老後も目が悪くなるまで続けていた。ミシンに向かい、踏み板を小気味好いリズムで踏みながらタタタタ…という音を立てていた祖母の曲がった背中が、私がおばあちゃんを思い出すときに真っ先に思い出す姿だ。

そんな祖母は、私が中学2年生になった春に亡くなった。祖母は渡り廊下を渡った先の離れの部屋で寝起きしていたので、「ほな、風呂入ってくるわ」と言ったあとの祖母の姿を見ることはなかった。

いつも私が起きてくるときにはすでに台所で朝ごはんをつくって家族を待っていた祖母は、その日に限って姿を見せなかった。嫌な予感がした。私の記憶にある限り、私が朝起きて台所に下りて祖母の姿を見なかったのは、祖母が婦人会の旅行でいなかったときと、風邪をこじらせて一週間寝込んでいたときだけだったからだ。

両親はまだ寝ていたので、私はひとり静かに廊下を渡って祖母の部屋の前に立った。「おばあちゃん…?」と声をかけても返事はない。普段は雀の鳴き声や牛乳瓶を配達するバイクの音、近所の人がカラカラカラ…と玄関の戸を開ける音が聞こえる時間なのに、そのときはやけに静かだった。しいんとした音が耳に痛いくらいだった。

その痛さに耐えかねて、私は「開けるね」と声をかけてふすまをそっと横に引いた。

結局私はその朝、両親が起きて祖母の部屋に来るまで、ふすまを開けたままの体勢でいた。そこからの記憶は曖昧だった。医者が言ったことはよくわからなくて、お風呂上がりにそのまま「ぽっくり」と逝ったということだけぼんやりと理解した。

その日は学校を休んだ。次の日は行ったけれど、お通夜だのお葬式だのが立て続けにあって、なんだかんだ一週間くらいは休んでしまった。翌週久々に学校へ行くと、クラスメイトは普段と変わらずグループになって騒いだり、うわさ話をしたり、宿題を写しあいっこしていた。祖母の死を境にして変わったものは、ほんの欠片も見当たらなかった。

お通夜でもお葬式でも、私はぼんやりとしていた。祖母の亡骸や遺影を前にして泣いている黒っぽい人たちは、祖母と同じくベールの向こう側にいた。もちろん涙なんて一滴も出なかった。

それから一年あまりが過ぎて、お盆の時期がやってきた。去年は初盆だったので、お寺の人が来たり親戚が来たり祖母の友人だったという人が来たりと賑やかで忙しかったが、今年はしいんとしている。私は毎日塾に通う日々だった。

12日の夜、塾から帰ってくると、母がなすときゅうりを食卓の上に置いていた。

「なに、それ?」

「迎え盆と送り盆をやろうと思ってね。ママが小さいころ、確かおばあちゃん、ミナのひいおばあちゃんがやってたなと思い出してね」

どうやら、お盆には13日に先祖を迎える迎え盆、16日に先祖を元いた世界に送り出す送り盆というのがあるらしい。

「こっちのきゅうりが馬で、なすが牛ね。迎え盆はおばあちゃんが早くこっちに帰ってこれるように馬に乗って、送り出すときは名残惜しいから牛なんだって。

明日煙を焚こう。それを目印におばあちゃん帰ってくるはずだから」

「ふうん」

とだけ私は返して、二階に上がった。

次の日も私は塾に行き、帰ってくると煙の匂いがした。私はあの世なんて信じないので、おばあちゃんが煙に乗って帰ってきてくれるなんて到底信じられず、ただただ煙たいのがいやだった。

16日の夜。同じく塾から帰ってくると、父と母は縁側から続いている裏庭にいて、焚き火みたいなことをしていた。その側には母がなすでつくった牛らしきものもあった。父と母は何も言わず、パチパチと燃える炎をじっと見つめていた。私は少し離れて縁側に座り、冷えた麦茶の氷をからんとさせながら、夜空へと舞い上がる煙をぼんやりと見つめていた。

炎はやがて消え、煙の線も細くなってやがて夜の闇へと溶けていった。牛なすはもうどこにも見当たらなかった。

「ねえミナ、花火でもしない?」

「花火?」

と聞いた私の声に母は返事をせず、「花火なんてミナが小さいとき以来だな〜」と父が言いながら準備し始めた。バケツに水を張り、花火の袋を開けてライターで次々と火をつけていった。私はなんだかめんどうくさくて、一気に3本ずつ火をつけた。さっき見た火よりよっぽど明るく強く花火は輝いたけれど、すぐにしぼんでしまった。

真っ暗になるのがなんだかいやで、私は手元の花火が消える前に新しい花火に次々と火をつけていった。

「やっぱり最後は線香花火か」と父は言いながら、そのか細い花火を3本取り出した。ジジ、ジジジジという静かな音を立てながら、小さな小さな火の玉が爆ぜている。三人ともしゃがみこんで輪をつくりながら、小さいころと同じように誰の線香花火が一番長持ちするか競争した。

私の線香花火が一番長く持った。そんな小さな火の玉も、ジジ、とひときわ大きな音を立てたあと、

ぽとり、

と地面に落ちた。

暗闇が訪れた。月の光も家の光も街灯の光も感じられなかった。

ただただ暗闇の中に、線香花火は吸い込まれていった。

その瞬間、私の頰から一粒の涙が落ちた。線香花火の火の玉が落ちるのと同じスピードでそれは地面へと吸い込まれていった。その地面は、さっき両親が焚き火をしたところであり、祖母が帰っていくという煙がのぼっていったところだった。

思えばそれが、祖母を亡くして初めて流した涙だった。私の涙も、やがて空気中に漂う何かになって祖母の元へゆくのかもしれない。そう思うと、次から次へと涙が溢れていた。こらえようとしたけれどさすがに両親に気づかれて、母が肩をかしてくれた。父が肩に手をやってくれた。

「おばあちゃん、ごめん。大好きだよ」と私は心の中で呟く。

輪になって小さくうずくまった私たちを、月夜だけが見ていた。

参考:
https://www.xn--t8j4c7dy42mj9kt8e4tsjg7cfa.net/obon-nasu-kyuri/
https://www.xn--t8j4c7dy42mj9kt8e4tsjg7cfa.net/okuribon/

written by

SAKI.S

生まれたときから足に筋肉の筋が入っており将来はオリンピック選手かと渇望される。 小5のとき徒競走"Queen of the Queen"で優勝し、見事井の中の蛙と化す。 現在、自宅と実家の往復(400m)のみでその筋肉を使い、”猫に小判、Queenに筋(KIN)”と揶揄される。好きな食べ物はクッキー。

mono.coto Japan編集長/泊まれる自宅本屋 books1016。兵庫県加古川市出身、小中高を中国、アメリカなどで過ごす。
twitter: @monocoto_japan

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