妄信サムシング・レッド

essay, Nov. 2019

鶴留彩花

赤の景色って本当にきれいだ。紅葉の時期が来るたびにそう思う。

春に咲き誇る桜も、夏の青空に輝く向日葵も、冬の野山に降り積もる綿雪だってもちろんきれいだ。

けれども、ツンと冷たくなった秋の空気の中、木々が赤く染まる紅葉の景色は格段にきれいで、いつも魅入られてしまう。

東京の高尾山、栃木の日光東照宮、京都の嵐山…手元にある紅葉の写真には、どれも友達と行った楽しい記憶が残っている。特に嵐山は「和」の風情が漂っていて、嵐電の駅を降りた瞬間から私も友達も目が輝いた。

渡月橋の向こうに見える山々の艶やかな赤。川をたゆたう小舟がさらさらと水をかいていく音。向こうの方から聞こえてくる、売店へと呼び込む声。そのどれもがきらきらと輝いて、心が踊った。

紅葉を見ながら何を話したかは覚えていないけれど、思い返すときにはいつだって、きれいで心躍る赤の景色の中に笑い声が響くのだ。

鮮やかな朱色、艶やかな深紅、時に色褪せた煉瓦色…たくさんの赤に囲まれた笑い声は、なんだかいつも以上に楽しげだ。そう思うのは、私が赤い色を好きだからかもしれない。

大切な日には、何かひとつ赤いものを。

結婚式のおまじないであるサムシング・ブルーならぬ、サムシング・レッドといったところだろうか。私は、私だけに効くこのおまじないを信じてやまない。

たとえばアイシャドウやネイル、腕時計、靴下。毎日毎日身に付けるというわけではないけれど、大切な試合や試験の日には、必ず赤いものを身に付けて臨んできた。

サムシング・ブルーのように幸せを「呼び込む」わけではない。赤は鮮やかで芯をもっていて、幸せや何かを「呼び込む」よりは「つかみ取りにいく」ような色だと思う。

だから大切な日にはサムシング・レッドを身に付けて、私の未来を「つかみ取りにいく」のだ。

赤は、私を強くしてくれる。

去年、10年付き合った婚約者に別れを告げられた日、私は赤いスカートを履いていた。

とびきり鮮やかな赤のスカート──こんな派手な色でも着られるタイプで良かったと心底思う──その強い色が映えるように、黒い上着と普段は履かないヒールを合わせる。

今にも涙がこぼれそうなひどい顔を鏡に映して、私はひとり呟いていた。

「大丈夫、今日も赤がちゃんと似合ってる…私はきっと、大丈夫だ。」

言い聞かせるように呟いて、鏡の中の自分と頷きあった。

だって、別れを告げられるのはわかっていたから。そうでもしないと、あの日はもう、きちんと立っていられそうになかったのだ。

ああ、そういえば。そういえば、彼と一緒に紅葉を見に行ったことなんてあっただろうか?

私は彼と、幾度も同じ季節を超えてきたはずだった。いろんな場所へ出かけて、おいしいものを食べて、たくさんたくさん言葉も笑顔も涙も交わした、はずだった。

「そういえば」だなんて、すっかり思い出さなくなっている自分に驚く。

赤い糸は切れてしまったけれど、私はここできちんと立っている。あの日と同じ真っ赤なスカートを履くときも、ヒールなんて合わせなくても大丈夫。そう、私はもう、大丈夫なんだ。

薄れゆく記憶の中の彼。今は私の知らないどこかで、せいぜい幸せであれ。そう強く祈りながら、お気に入りのフラットシューズに足を突っ込んだ。

玄関のドアをぐっと開けると、すうっと澄んだ秋のにおいがした。

ほんの少し前までは真っ青な空に手が届きそうだったのに、いつの間にか空は高く青は薄くなっていて、羊の大群みたいな雲がふわふわと流れている。

朝の空気はすっかり冷えて、深呼吸をすれば鼻がツンとして痛いくらいだ。秋のにおいをめいっぱい吸い込んだら、財布と携帯、あとはカメラだけ持って玄関を飛び出す。

そろそろ木々が赤く染まる頃。さて、これからどこへ行こうか?

近くの公園もきれいだろうけれど、やっぱり嵐山は行っておきたい。いや、もっと大きく足をのばして、北陸や東北の方へ行ってみるのもいいかもしれない。寒暖差の大きい地域で、より鮮かな赤に染まった景色を見てみたいな。

あの日と同じ真っ赤なスカートが、秋風にふわりと揺らめく。鮮やかに、ときに艶やかにきらめくサムシング・レッドを味方につけて、私はもう、どこへでも行けるような気がした。

written by

鶴留彩花

1991年生まれ、奈良県在住のふつうの人。しがない事務系会社員 兼 フォトライター。「日常の端っこ」をひとつのテ ーマとして、写真を撮ったり文章を書いたりするのが好き。日々、楽しそうなことや面白そうなことに首を突っ込んでいる。
note: dmdmtrtr Twitter: @dmdmtrtr Instagram: @dmdmtrtr

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